理性は情念の奴隷である ーデイヴィッド・ヒューム

哲学

理性で欲望をコントロールしている?

突然ですが、次のAさんとBさんを比較して、どう思いますか?

Aさん「食べることが好きだけど、体型維持のために食べすぎないようにしている」
Bさん「食べることが好きで、いつもお腹いっぱい食べていて、体型は整っていない」

多くの方は
Aさんは欲を抑えて、えらいな〜」とか
Bさんだらしないな〜」とか
思いましたよね

一般的にAさんみたいな人は「欲望を(理性で)コントロールしている」と言われます
果たして、本当にそうなのでしょうか?

理性は情念の奴隷である ーデイヴィッド・ヒューム

いきなりパンチの効いたワードが出ましたね

「理性は情念の奴隷である」は18世紀イギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームの言葉です
簡単に表すと「理性<情念(=欲望)」ですね

ヒュームの生きていた時代の背景としては、
フランスやドイツの哲学者の主流は「理性こそ絶対!」という感じだったので、
結構衝撃的だったみたいです
(今言われてもインパクト強いとは思いますが・・・)

じゃあ、何で「理性<情念(=欲望)」と言えるのでしょうか?
上記の理性的なAさんを例に見てみましょう

一見すると、Aさんは食欲をコントロールしているように思えます
しかし、Aさんが食欲を抑えているのは体型維持のためです
すなわち、Aさんには「体型を維持したい」という別の欲求が潜んでいます

そういうと、「いやいや、体型維持をすることで周りからの評価が上がるんだよ」と
返されるかもしれません。

でも、ちょっと待ってください

それって今度は「周囲から評価されたい」っていう欲求ですよね??

このように掘り下げていくと理性で欲求をコントロールしているわけではなく
最終的には元となる欲求があるということになります

理性はあくまで欲望を叶えるための道具

先ほど、最終的には欲求が元になるとお話しました
じゃあ理性ってどういう立場なのでしょうか?

結論からいうと理性は欲求の道具です
理性は情念の奴隷である」の指し示す通りですね

カレーを例にして考えましょう
もし今、「カレーを食べたい」と思ったとします
すると、多く方は下記の手段を取るのではないでしょうか?

・カレーを扱ってるレストランに行く
・出前でカレーを注文する
・カレーの材料を用意して自分で作る
・レトルトカレーを温める
など

これは「カレーを食べたい」という欲求に応えるために、実現方法を考えていますよね?
まさにそれこそが理性の働きと言えます

つまり、ある「欲求」に対してそれを実現する方法を提示するのが「理性」ということになります

終わりに

「理性は情念の奴隷である」というヒュームの言葉を解説しました

もし、ビジネスパーソンが読まれているのであれば、これは「目的」と「手段」ってことだとピンと来たかもしれませんね!

欲求は「目的」で、理性が「手段(を提示するもの)」だと思っていただけたら、理解しやすいと思います

最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
また他の記事でお会いしましょう!

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