【イデア】どのように人は物を判断できるのか −プラトン

哲学

なぜ椅子に座るのか?

突然ですが、家の中や飲食店などで「椅子」に座ることありますよね?
あまりに当たり前すぎて「何を言っているのか?」と思われるかもしれません。

家にある椅子と飲食店にある椅子は形が違ってもちゃんと「椅子」だと思って座っているはずです。
間違ってもテーブルに座ろうとか考えませんよね。

「椅子」と一言で言っても、背もたれのある椅子や背もたれのない椅子、キャスターがついているものや、4本足の椅子など様々な形があります
それにも関わらず人間は「椅子」だと認識して「座る」こと当然だと思いますよね。
椅子の上にお弁当を広げて食べたりしてたら「おかしな人だ」と思うに違いありません。

そう考えると、とある物体を「椅子」だと認識して「座る」ためものだと考えるのは不思議じゃないでしょうか?

イデアとは

古代ギリシャの哲学者のプラトンは全ての物事にはそれぞれ共通した形があると考えていました。
共通した形というよりは元になっている概念のようなものがあって、それに基づいて物事を判断しているといったイメージの方が近いかもしれません。

その共通した形、概念のようなものを「イデア 」と言います。

このイデアは目に映った光情報では見えず、理性の目によって見ることができるとプラトンは言っています。
すなわち理性を持った人間のみがイデアによって物事を判断できるということです。

「この物体は椅子というもので、座るためものだ」と判断できるのは椅子のイデアを理性の目で見ているからだ、というのがプラトンの主張です。

終わりに

少しスピリチュアルに感じるかもしれませんが、物事の捉え方から理性について考えるというアプローチは面白いと感じませんでしょうか?

今では機械学習でコンピュータが猫の画像を認識するために数千枚〜数万枚の画像を読み込ませて、ようやく判断できるようになってきました。
しかし、人間はそこまで画像を見なくても「これは椅子だ」、「これは猫だ」と判断できます。
機械と人間の違いとは何か考えるキッカケにもなりそうですね。

最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
また他の記事でお会いしましょう!

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